欲望の喪失とマーケティング

前回小難しいお話として現代思想の話を展開させていただいたわけだが、予想に反して好評であったので、調子に乗ってもう少し同じ流れの話をさせていただきたい。
…少しマーケティングからはズレてくるが、小話として飲み屋で/打ち合わせで話せると「この人教養がある人だ」と思われること請け合いだ。

マトリックスに影響を与えた思想家

映画「マトリックス」に多大な影響を与えたとウォシャウスキー監督が語る現代思想の哲学者に、ジャン・ボードリヤールがいる。同映画の撮影に当たって、スタッフや出演者に氏の『シミュラークルとシミュレーション』が配られたという逸話があるほどに、確かな影響を与えた人物だ。
前回取り上げたヴァーチャルに関する話としては、次のような記載を残している。

犬小屋同然のネットワーク社会という絶対的な慰め、そこでは誰もがいともかんたんに姿を消すことができる。私の代わりにインターネットが思考し、私の代わりヴァーチャル・リアリティが思考するというわけだ。私の分身はネットワークの流れに漂うが、そこで私自身が分身であることはない。平行世界(パラレルユニヴァース)はかつての現実世界とは何の関係もないからだ。この宇宙は世界を人工的に転写したもので、現実の残響そのものであるが、現実を反映してはいない。ヴァーチャル・リアリティは、もはやかつてそうだったような潜在的な現実ではない。今後の軌道上であれ軌道外であれ、ヴァーチャルな世界はもはや現実世界を裏づけるよう定められはしない。オリジナルを吸収してしまったので、それは世界を決定不能なものとして生産し続けるだろう。
(ジャン・ボードリヤール『不可能な交換』(塚原史訳、紀伊国屋書店2002))

シニカルで詩的なこの著書を要約すると、ヴァーチャルは世界の一部であり、不確実性と調整不能な代替物として現実世界と交換可能(≒不可能な交換)であるかのように扱われる喜劇の体を装った存在、となる。もっと乱暴に意訳してしまうならば、ヴァーチャルは万能ではなく、人々の欲動の溜り場として機能する破滅的な存在、ということだ。

技術的発展による欲望の喪失

近年では草食系男子という言葉に象徴されるように、欲望の減退が一つの象徴的事象として捉えられている。スラヴォイ・ジジェクは、難解で知られるラカン派精神分析学を用いて映画を語ることで一躍現代思想の寵児となった思想家であるが、こういった現象について現代テクノロジーが与えている影響を加味して以下のように語る。

それはつまり、人間の欲望を起動するのは、源初的に失われている<物>と、経験的で実定的な目標との間の短絡だということである。つまり、この目標を<物>の高みへと引き上げることである。(中略)それを手の届かない/禁じられたものとして措定し、その手を出せないということが、我々の欲望の炎を生かしているということだ。
(スラヴォイ・ジジェク『仮想化しきれない残余』(松浦俊輔訳、青土社1997))

何もかもが即時的に入手できるようになった時、困難性に起因する達成感が失われ、結果として欲望が減退するわけだ。

片や欲動の溜り場だと語り、他方では欲望が減退すると語られる。
論じる文脈の違いこそはあれ、偉大なる知識者の声を綜合して考えることは、決して無駄ではない。
最後に少し、そういった思想に沿ってマーケティングを考えてみよう。

対価を支払う対象を変える必要性も

前回「面倒くささ」を回避する必要のあるリアルと断片的情報が思わぬ結び付きを見せるWebの混在が、IoT時代のマーケティングを考える上で重要であると書かせていただいたが、実は「面倒くささ」故に欲望は高められ、結び付きが簡単であるが故にどこにも繋がらないという、逆の効能も存在するというのが今回の話だ。

敢えてもどかしさを残す、意図に合わせた誘導を行うなど、消費者に向けたストーリーを考える、所謂カスタマージャーニーを設計することは、マーケティングにおいて重要な役割を担い続ける。とはいえ、他所がこういった障壁をクリアにしてしまうと、そこでビジネスは成り立たなくなる。

CustomerJourney

サービスのサステナビリティを担保するには、どこかで収益を生む必要がある。収益を得るためには消費者側の欲望とマッチすることが重要だ。
例えば、ソーシャルゲームに代表されるフリーミアムモデルのゲームなどにおいては、時間を掛ければ無料で達成できることの「面倒くささ」を、お金で買い取ることが可能なオプションを多数用意して成功を納めている。本質的な価値は広く一般に提供しながらも、時間消費の短縮を以てマネタイズするというモデルだ。

面倒くささもない、どこにでも繋がるといった環境が与えられた場合、同様にマネタイズする対象を変えていくということも考える必要が出てくるかもしれない。何でもできるが選べないという環境なのであれば、或いは次のステップを提示するコンシェルジュ機能が価値を見出すかもしれない。一つの可能性として。

消費者が対価を支払う対象となる欲望の形は、必ずしも今現在の形と一致するとは限らないということも、常に考える必要があるのだ。

The following two tabs change content below.

タナカさん

兵庫県出身。2003年東京外国語大学大学院修了(学術修士)。ウフル・マーケティングインテリジェンス本部(旧マーケティングクラウド本部)のたぶんちょっとエライ人(弊社CSOの田中正道とは別人)。 データドリブンなマーケティングに関して、その仕組みの設計からクリエイティブまで経験。趣味はバルトやデュルーズといった現代思想の研究から草の根音楽活動までと多岐に渡る。要するにオタク。

最新記事 by タナカさん (全て見る)

まずは事例を見てみる

フォローする

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です