AIは、受注仕事に最適化されている。
そこから見えてくる、AI時代の思考のクセ
第1回では、テクノロジーがなぜ再び国の管理下に引き戻されつつあるのか、という話を伺いました。サイバーセキュリティという概念の登場によって「国の内と外」の境界が溶け、企業もまたその流れに巻き込まれつつある、というのが若林氏の見立てでした。
第2回となる今回は、国家から個人へと視点を移し、人間の思考とAIビジネスの実像をテーマに対話が進みます。きっかけは、坂本の「人間とAIの関係性は、今後どうなっていくと思いますか」という問いでした。
01 / Answers, Not QuestionsAIは、なぜ受注仕事が得意なのか
坂本:
視点を変えて、今度は国というところから、人・個人というところに移して、人間とAIをテーマに考えたとき、ちょっと緩めのご質問なんですけど、その関係性、今後どうなっていくと思いますか。
若林:
これはね、最近色々使ってみてわかったのは、AIは基本受注仕事向きなんですね。問いが明確にあって、そこにソリューションを考える、というのに向いてるんです。要件定義をして、それをブレークダウンして、ソリューションを作ってきます、という、ある意味知識労働を工程化することに馴染んだ人たちの仕事は、AIに取って変わられるのは、それらの仕事が最初から機械化できるように編成されてきたからだと思うんです。最近自分は、そうした仕事を「受注知識産業」と呼んでいますが、それらの仕事にAIが最適化しているというよりは、そもそも外部化できるようにつくられた仕事は、仕事のつくられ方自体が、AIが出てくる前からAIに最適化されてきたのではないか、というのが目下の仮説です。
それに対して、もうちょっと異なる仕事のアプローチの仕方があるような気がしてまして、例えば自分のようにメディアの現場で企画をつくるときって、問いがあって、答えがあるという考え方をしないんですね。どちらかというと、答えがみつかって初めて問いが見つかるというようなプロセスがあったりします。これが面白いんじゃないか、あれが面白いんじゃないかとアイデアを出しながら、何か違うな、何か違うな、ってやっていくと、「あ、これだ」というものがポンと出てきて、そのときになって初めて、「なるほど、自分が探していたのはこれか」となるわけです。問いが分からない状態で探索するんですね。
こうした思考プロセスを、カール・クラウスというオーストリアの文学者は「創造的必然性」と呼んでいまして、彼は、それを、ある詩にふさわしい言葉を探すプロセスについて語ったのですが、答えが分からない状態で言葉を探し続けると、ある瞬間に「しっくりくる」。つまり、答えが見つかった瞬間に自分が探してたものが再帰的に理解されるという思考の仕方を、「創造的必然性」と呼んだわけです。その言葉の反対語を考えてみると、きっと「合理的必然性」といったものになるのではないかと思いますが、AIが得意なのは、むしろそれなんだと思います。
この間、イノベーションの合言葉のもと、企業が自分たちの思考プロセス自体を変えなきゃいけない、既存の枠にとらわれない考え方をしなきゃいけない、とデザインシンキングやアートシンキングといったものに散々かぶれてきたわけですが、要は、そのとき脱却しなきゃいけないとされていたのは、テイラー主義的な「科学的管理」やそれを支える「科学的思考」だったはずです。ところが、AIはその考え方が、むしろめちゃ得意なので、AIを使ったところで、むしろ、そうした思考様式に、より強く拘束される、ということが起きるんじゃないかと思います。
デザインシンキングとは、実は真逆に最適化される。それがAIだ。
02 / Already OptimizedAIは、もともとあった型をなぞっているだけだ
坂本:
人としては、それに流されるか、立ち回るか、みたいなことだと思っているんですけど。おっしゃっている、思考のプロセスに問いを立てる、というのは結構大変じゃないですか。なんとなくそれっぽいものが返ってくるものに、ある意味流されてしまうと、どんどん思考しなくなっていく——ということでいうと、問いを立てるというか、創造性みたいなものが、どんどん失われていく可能性もあるのかなと。
若林:
実際、自分が企業の人たちと話していると、ほとんどの人たちが、自分たちの仕事を、受注知識産業の人たちの言語で語っているのを感じます。ありていに言いますとコンサルタントや調査会社、広告代理店のような職種ですが、これは、必ずしもこうした職種の思考様式が特殊だということではなく、歴史的に言って、こうした仕事が登場したことを、労働の機械化の歴史のなかに置くことができると考えられるからです。
どういうことかと言いますと、労働の機械化の歴史って、基本、それまで属人的だった仕事を工程に分割して、それを分業して、簡単な仕事から切り出した業務を機械にやらせることから始まったわけです。この考え方は最初は生産工場で始まりますが、次第にオフィスに入り込み、事務からコミュニケーションにいたるまで、あらゆる業務を工程化していきます。それがやがて経営判断といったものまでいたるわけですが、それが外注できるということは、はなからそれが工程化されているからなんですね。そのうち、そうやって「外部化された思考」そのものが納品物になっていくわけですが、それを支えているのがパワーポイントといったツールだったりするわけです。つまり、さっきもお伝えしたように、AIが登場する前から、人は労働をAIに最適化し続けてきたわけです。
ここでの問題は、こうしたツールが人の思考形式を、根本のところで規定してしまっているということで、本来であれば思考の結果資料ができるところ、次第に資料をつくったことをもって自分が考えたと思ってしまうという一種の倒錯が起きてくるのですが、こうしたことは体験的にも、よく見かけます。
坂本:
そこはそう思う一方で、じゃあ人間はどうやって創造性を保って、思考を広げていくのか。そこはもう一つ考えたいところですよね。
若林:
先ほどからお話ししているのは、仕事そのものを規定している考え方、あるいは企業というものの編成のされ方そのものが、AIが出てくる前から、AIに最適化していたということですが、まずひとつ言えるのは、新しいテクノロジーが出てくると、これまで人間はどうやっていたんだろう? という問いが返ってくるのが面白いということですよね。
この間も同僚と、喫煙所に置かれたTVモニターでタバコの広告が流れているのをみていたら、おそらくAIでつくったものではなかったのだとは思いますが、この時点ですでに、AIっぽく、こういうプロンプトを書いたんだろうなと想像ができてしまうような内容なわけです。そう考えてみると、広告の世界はずっとそうやってプロンプトを実現する工程を精緻化してきたわけですね。かつては、そのプロンプトを実現したのは人ですが、それがAIになっても、実際のところ、仕事は変わらなかったりするのではないかと思っちゃったりします。そのせいで仕事がなくなる人が多数出るのかもしれませんが、それも、AIが出てきて何か問題が発生してるんじゃなくて、AIはもともとあった問題を可視化してるだけという気がします。
考えてみると、最初からAIっぽかったんです。
03 / No Business ModelAGIから「バーティカルAI」へ
坂本:
その辺は、極端に二極化していく可能性もあるのかなと思っていて。一つは、すでにAIに最適化されているような状況に抗って、企業としてのメッセージングやブランディングによって、あえて画一性を打ち破っていく方向。もう一つは、どうせそのうち選ぶ側もAIになっていくんでしょ、という極論で、こちらもAIに選ばれやすいように最適化してしまう方向です。そうなると、その流れに抗うこと自体の価値がなくなっていく可能性もある。そういう両極端が出てくるんじゃないかと思っているんです。
若林:
先ほどの労働の機械化の歴史を見ても、「ここだけは人間にだけ残された仕事になる」と言われた領域も、どんどん工程化し、外部化してきたのが、言ってみれば、企業の歴史だったからです。つまり、人間はずっと、自分の仕事を機械に渡しやすいように、自分の仕事を作り変えてきたわけですから、それに抗うと言っても、「それ自業自得だろ」というのが実際のところだったりもします。それが、よほどいやだったら、パワポを使うのを禁止するとか、会議のながさをあらかじめ決めない、といったやり方で、仕事を工程化するプロセスから、いったん抜け出す必要があります。それが果たして現実的かどうかはわかりません。
もしくは、現実的な対応としては、工程化の延長として、AIをちゃんとこれまでの「工程」に組み込んでいくということになるのではないでしょうか。つまり、製造の領域でも流通でもHRでもコミュニケーションでもいいのですが、これまでの業務フローを効率化することに向けてAIを使うということです。すでに世間が、AGIからいわゆる「バーティカルAI」に目を向けるようになってきているのは、おそらくC向けのAGIをホワイトカラーの人たちがどれだけ使ったところで、個々の作業効率は上がって、本人のキャリアにとっては良くても、組織や産業にとってどこに価値があるのか、ということにもなってしまいます。
このことを逆からいうと、OpenAIでもAnthropicでもいいのですが、AIを提供している側の企業には、そもそもビジネスモデルがないということがずっと指摘されていまして、実際のところ、受けた投資をただジャブジャブと垂れ流し続けているわけです。
OpenAIは、たしかCFOだったかが、経営が立ち行かなくなったら最終的には国が支えることになる、といったニュアンスの発言をしていましたが、要はこの状況が続けば、AI産業自体が立ち枯れするということを、自分たちも認めているということになります。それ以外にも、ある企業がAIに当てていた年間予算を4カ月で使い切ってしまったなんていう話題も出てきましたが、AIを売っている企業にとっても、AIを使っている企業にとっても、そのコストをどう正当化しうるのかという点で、どこにも明確なロジックがないわけです。そこにさらにデータセンターの環境被害なんていう話も出てくれば、いよいよコストを正当化する根拠は薄まります。
そうしたなか、最近政府機関に出向している知人に聞いてみましたところ、政府内でもAIについては、AGIではなく、ほとんど「バーティカルAI」の話になっていると言っていました。業界ごとに特化したAIをちゃんと作って、合理化できるところを合理化するところから進めていかないと、結局AIの会社も儲かりません。マクロで見ても、アメリカがAIでGDPを増やすとは言ってますが、実際は多分0.5%くらいの影響しかないといった数字もどこかで見ました。
一方で中国は、企業と組んで業界に特化したB向けの専門AIできちんと利益を出していますので、私が以前取材したSenseTimeという会社は、もう少しで赤字を脱却できるところまで来ていると仰ってました。SenseTimeは4000人規模の会社ですから、OpenAIと同等の規模の会社です。
坂本:
先ほどの、AGIからバーティカルAIに目が向いているという話で言うと、テクノロジーは先行して、ある程度その可能性が見えてきている部分はあるかもしれないけれど、実際の利用環境やコスト、経済合理性まで含めて考えると、まだ成立しにくい、という意味でしょうか。
結局やっぱり、AIの企業は基本ビジネスモデルがないんですよ。
04 / A Reasonable BetAI活用の妥当性を分けるもの
若林:
たとえば、俳優のベン・アフレックはたしか2022年にAIの会社を作っていて、それを2026年にNetflixに売却しています。それは何の会社かと言いますと、映画のポストプロダクションで使うAIの会社です。
その会社が価値を出せるのは、ベン・アフレックが映画業界の裏のことをよく知ってるからで、この会社のAIを使うことで、オフショアで行っているCGのレンダリングの作業などを大幅に縮減できるとされています。それをNetflixが保有して、Netflixと契約した世界中の制作会社が使うことができるようになれば、コストも下がりますし、その結果配給できる本数も増える可能性もありますし、参入できる制作会社も増えて、面白いコンテンツが出てくる可能性も増えるかもしれません。
ちなみに、動画生成AIについては中国のAIが先に進んでいることはアメリカのメディアでも語られていまして、中国のAIの優位性は、「データの規模、垂直統合、政府支援、攻撃的な価格設定、そして世界でもっとも要求水準の高い視聴者市場のひとつとなった巨大な国内市場」にあるとしていますが、ここでいう国内市場は、縦型のショートドラマのマーケットです。この新興市場は2025年には94億ドル規模とされていますが、要は、AIで作った動画であってもお金を払う市場が、すでにそこにあるので、商品として換金できる出口があるわけです。
ちゃんと産業化する出口をどこに置くか、っていうのをもうちょっと考えたほうがいい。
若林:
一方、OpenAIは、動画生成AIの「Sora」を早々に打ち切ってしまいましたが、それも、「個人クリエイターからのサブスクリプション収入だけを収益モデルにしている限り、赤字になる」と分析されています。
そりゃそうですよね。趣味でAI動画をつくる人がいくら増えたところで、YouTubeで投稿して換金するのが関の山で、そうした個人のコンテンツクリエイターのビジネスモデルも選択肢がほとんどありません。一方の中国は、ショートドラマという新しい市場もあり、例えばByteDanceのような企業は、何億人ものデイリー視聴者に向けて作品を供給する、数十万ものマイクロドラマ制作スタジオから成るエコシステムに、自社のAIを販売できたりします。
ここでのAIは、一見C向けのサービスに見えますが、実態としてはCではなく、個人の「B」なんですね。こうしたインディペンデントな個人の「B」プレイヤーを束にして産業化するという意味でも、これはバーティカルAIなんですよね。
坂本:
テクノロジーとしてはいろいろな可能性を見せつつ、最終的には、バーティカルAIとしてどう産業化の出口を見つけていくか。その入り口として、C向けはホビー的なものが多いと思うんです。我々はコンシューマーAIとエンタープライズAIという置き方をするんですが、入り口のハードルを下げて、まずはホビー的なところから触れてもらいながら、その先にBとしての出口をどう見つけていくか。若林さんご自身も、いろいろと出口を探られていると思うんですが、身近な領域で、有望そうな出口はあったりしますか。
若林:
さっきのベン・アフレックの話は、まさにそうした出口戦略のひとつだと思いますし、あるいは自分は本を作る仕事をしていますが、それもかなり工程化されたプロセスがあるので、その中で、AIの使い道を探ることはできると思っています。特に、本の業界では、紙の値段がものすごく上がっていますので、どこでコストを下げるのかは喫緊の問題となります。ただ、コストが下がるだけでは意味がなくて、それによって、例えば世の中に出る情報の量そのものが増える、といった話が起きないと、あんまり意味がない気もします。ショートドラマのような新しい市場が生まれてこないと、コスト削減の話にばかり終始してしまいますので。
これはもう15年ほど前の事例ですが、ある大手通信社が、企業の決算報告の記事をAIにやらせるようにしたという事例がありました。それまでこの仕事は新人記者の仕事でした。経費削減・人員削減のなか、新人にそんな仕事を悠長にやらせてる余裕もないということで、AIにやらせるようになったわけです。そこで何が起きたかと言いますと、まず当然ですが、人がやっているうちは1日1、2本しか作れなかったのが、いきなり10倍の数にできるようになりました。しかも、そうやって情報量が増えたことで、株式市場の流動性が高まったとされています。これは結果的にそうなっただけですが、企業側としては効率化として行ったAI導入が、社会的には新たな付加価値を生んだ、好きな事例です。
とはいえ、これも基本的にはシンプルな問題意識からスタートしています。単純に人が足りないんです。それまでは記者は記事だけを書いていればよかったのが、動画も撮らなきゃいけない、音声も撮らなきゃいけない、ソーシャルメディア用の文言をつくらないといけない、と仕事が増えていく中で、それをできるだけ軽量化するために、切り出せるところはAIに任せていくというものでした。いわば「マイナスをゼロに戻すという意味」での効率化です。
また、記者数が減っていくと起きる問題は、ニュースが都会のニュースばかりに偏ってしまうということです。記者がいない田舎のニュースが発信されにくくなるんです。その通信会社は、こうした問題を解決するためにもAIを使っていまして、たしかソーシャルメディアをAIが常時クロールしていて、事件らしき出来事が起きたら近くにいる記者にアラートを飛ばす、というシステムだったと思います。7~8年前の事例ですが、こういう使い方は、AIの利用例としては普通にいいものなんじゃないかな、といまも思っています。
05 / Beneath the Frame型を変えずに、AIだけ足しても意味がない
坂本:
最近、航空会社の予約変更で、こんな体験をしたんです。ウェブサイトで予約を変更しようとしたらエラーが出て、「この番号にお問い合わせください。電話は1時間以上お待ちいただきます」と書いてある。夜10時頃から電話をかけて、1時間待ってようやく繋がって、「予約を変更したいんですけど」と伝えたら、「システムにトラブルがあって、今は予約変更できません。4時間後にもう一度電話してください」と言われたんです。夜中の3時にもう一回電話しろってことか、と思いながら電話を切って、結局予約変更はしなかったんですけど。もう二度と使うもんかと思って、こういうところこそAIに置き換えた方がいいんじゃないか、と。
若林:
それってAIの話なんですか?むしろUXの話のような気もしますが、いずれにせよ、AIをそうやってインターフェイスとして利用する場合だとなおさら、UXデザインがむしろキモであるはずで、そこを考えずにAIが何とかしてくれる、というふうにもなりませんよね。
坂本:
そのUXの部分を人間による対応で解決しようとしても、限界がある部分は相当ある気がしていて。
若林:
サービスであれば、UI・UXをどう構築していくかという中でAIを入れていくというのは妥当だと思いますが、そこでAIを使うことに必然性があるのかは、結局人が判断することになりますよね。先の通信会社の話は、AIをどう使うか、という話の前に、人をどう使いたいか、という話があったわけですよね。AIがあるんで、せっかくだから使わないと、なんていう考えは、それはそれで本末転倒ですよね。
コスト削減されて嬉しいのは経営者だけ、っていうんじゃなくて、それを本当に経済成長に結びつけたい。
「AIは受注仕事に向いている」という若林氏の指摘は、AIの限界を嘆く話ではありません。むしろ浮かび上がるのは、私たちの仕事そのものが、AIの登場以前から工程化され、機械に渡しやすい形へとつくり変えられてきたという事実です。一方で、若林氏が挙げたカール・クラウスの「創造的必然性」——問いも答えもわからないまま模索し、答えが見つかったときに初めて、自分が何を探していたのかがわかる。そんな思考のあり方もあります。そして、AIを使うこと自体を目的にするのではなく、何を実現したいのか、そのためにAIを使う必然性がどこにあるのか。汎用的な可能性だけを追うのではなく、具体的な産業や現場、工程のなかで、AIをどう位置づけ、価値につなげていくのか。
最終回となる第3回では、視点をさらに現場に近づけ、フィジカルAIの現実と、AI時代に人間がどう「問い」と向き合うのかについての対談模様をお届けします。
第3回「フィジカルAIの現実と、人間に残る”問い”」(仮)→
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